我が市役所の嘘

 皆さんこんばんは。今回は、数年前に読んだ、我が市で発行している広報について書きます。
 私の市は、全国的に見ても同和地区の多い県だそうです。確かに、あそこやここ、といろいろ地区名を聞きます。もちろん、私の住んでいる市もそうで、だから、広報に人権についてのコラムが書かれています。タイトルは「同和と人権(人権と同和かも)」だったと思います。
 そこには、文化や歴史が女性を差別してきたとか書かれてあって、さすが男女共同参画都市宣言をしただけの事はあって、ちょっと電波を浴びられます。
 しかし、その回は同和地区の事でした。そして、どのような差別を受けたか、その例が。
 同和地区の子供は、学校にも行けず、他人の家に奉公に行き、子守りをしていた、と。
 広報は嘘を吐いている。確かに、同和地区の人々は、それ以外の地域の人間よりも苦しく辛い生活を強いられ、差別や偏見に言いようのない悲しみや憤りがあったと思います。
 しかし、広報に書いたような事項は、同和地区ではなくても、貧しい家の娘ならば、大概の人が経験した事なのです。
 私の曾祖母は、同和地区出身ではありませんが、本当に貧しく、兄弟も多かった。ですから、小学校も行けず、子供時代から女中奉公に出て、子守りをしていたそうです。辛くて仕方ない時は、自分の実家の方向に向いて、「かかはん(お母さん)よー!!」と叫んで泣いていたそうです。小学校さえ行ってないのですから、もちろん字も読めないし書けません。
 その辛さは、私の想像を容易に超えます。おそらく、まだまだお母さんが恋しい幼い頃だったのでしょう。曾祖母の辛さを思う時、私は胸が締め付けられ、涙が出そうになるほど哀しい。写真で知らない曾祖母の事でもそう思うのです。
 問題のコラムの筆者に言いたい。分かりますか。あの頃は、日本全体が貧しかったのです。兄弟が多いゆえに、小学校にも行けず、弟や妹の子守りをしていた人もいたのです。それを、筆者はまるで、同和地区の人だけがそのような目に遭ってきたとでも言わんばかりの事を書いている。このような嘘を書いて、何になるのか。それは、他でもない、コラムの筆者が同和地区の人々を差別している事に他ならないのではないのか。
 私は、広報の「同和と人権」に、何か胡散臭い、決して市民を啓発する類いではない、悪意を感じます。

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ごめんなさい

 今夜は、ちょっと、ある掲示板でおきた問題がきっかけで考えたことを。
 その掲示板は、私もお世話になっていて、ネットサーフィンをするとき、必ず一日に一回は訪れる掲示板なのですが、かなり困った人がいました。
 その人は、自分に対する反論があると、ケンカを売られたと被害妄想だけで相手を攻撃し、掲示板を荒し、それに対しての相手の反論や、みんなのアドバイスや注意もろくに聞かずに謝り、迷惑をかけたのでさようなら、と人の気を引きながらも、舌の根も乾かぬうちに「すみませんでした、これからもよろしくお願いします。」謝罪&決別宣言→再来宣言の運びを一回や二回ならまだしも、何回も繰り返した挙げ句に、とうとう管理人様を怒らせて、怒りのスレを立てたら、掲示板に集うみんなを「馬鹿ばっかり」と見下した発言とともに決別宣言をし、やれやれと思っていたら、数時間後には「すみませんでした、二度とこのようなことはしません。」とまたお得意の変節。みんな、そのようなことを繰り返されたからその人に疲れ切ったのに、未だその人は「謝ればすむ。」と、思っている。
 私は正直、この人とのやり取りで、「ごめんなさい」がこれほど軽く見えたことはありませんでした。
 昔、私はちょっとしたことがあると、すぐ謝っていました。そして、ある日、バイト先のおばちゃんに「台風さんって、すぐ謝るんやな。」と言われたことがあります。子供の頃は、「自分が悪いと思ったらきちんと謝りなさい。」と言われていたので、そのまま受け止め、深く考えもしない私は、ミスする度に謝っていたんですね。実は、謝るよりも、謝った後の方が大事だと言うことは全然気づかずに。
 そして、ある考えに至ったのです。「簡単に謝る人は、どうせ大したポリシーも根拠もないのだ。」と。
 すぐ謝る人というのは、ただ、自分が怒られている、または批判されている状況(思い込みも含め)から早く逃げ出したい、早く楽になりたいと思っているだけで、本当に悪いとは思っていないのです。私が悪かったです、と言いながらも、じゃあ、あなたはどこが問題だと思っているんだ、と聞けば、おそらく答えられない。または、答えても的外れ。
 とにかく謝って、又受け入れてもらおうとそれだけを思っているから、すみませんだの、自分が悪いだの、そればかり繰り返す。結局、何が問題でここまで相手を怒らせてしまったのか分からないから、何度もそれを繰り返し、最後には誰にも信用してもらえなくなる。それは、みんなが、「表面では『ごめんなさい』と言っているけど、本心からじゃなく、この人は自分を馬鹿にしている」と感じ取っているからではないでしょうか。
 本当に自分に問題があると思うならば、その問題を見つめ、二度と繰り返さないように努力することが肝要と思います。そうすることで、「ごめんなさい」も意味を持つのですから。
 最後にこの画像を紹介して締めます。 土讃線・後免駅 紀勢線・朝来駅

 せっかく真面目な文章なのに、これで台無し…

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最近、辛い事件が多い 2

 そして、犯人にストーカーの前歴があったということ。実は、ストーカーがまだここまで有名になっていなかった頃、簡単な心理学の本を読んだことがあるのですが、ストーカーになる人間は境界性人格障害であることが多いそうです。クリックして頂ければ分かると思いますが、「★境界性人格障害の診断基準」の要点をまとめたものという項目から抜粋すると、事件を見た限りでは、この三点が当てはまると思われます。

・ 家族や親しい人から見捨てられないようにと必死の努力をする。自分の全てを受け入れてもらおうとし、排他的な二者関係にしがみつこうとする。

・ 同じ相手に対して、ほめたり、うらやましがったりしたかと思うと、次の瞬間に罵声を浴びせたりする。相手への評価が極端に変わる。

・ 自分の価値観、人生観、目標、将来への展望などが安定せず突然変化する。自己像がつかめておらず、自分の生き方が良く分からない。

 いかがですか、結構今回の事件の犯人の特徴を捉えていると思えませんか?実は、ストーカーの問題点は、本人あるいは周りが気づいて、病院に連れて行って、彼の問題点やそうなる原因を調べ、治療することが最重要なのですが、誰もそのことに気づかない、よって更に悪化するという結果になるのですが、彼の場合、それが最悪の形で出てしまった例といえるでしょう。そんな理由で殺された人たちはたまったものじゃないのですが。
 実際彼は過去に女学生へのストーカー行為が高じた結果起こした寮放火事件で、警察に諭され、精神病院に通院している。あの時に、もっとしっかり治療を行っていれば、と思えてなりません。もちろん、治るかどうかは本人の意思にかかる所が大きく、治療を終了させた警察だけに問題があるとは言えませんが。
 私は最初、「これだからアメリカは…」と思っていました。そして、犯人の国籍が分かった瞬間「韓国人かよ…」とも思いました。しかし、事件の経緯や、犯人が送りつけたビデオの内容や前科を見ると、どうも銃社会のせいではない、そして、確かに韓国人故の性格が引き起こした面もないとはいえないけれども、それが大きな原因ではないと思える。まあ、韓国社会が彼の人格を形成したと言えば頷けないこともないのですが、では、移住後でのいじめはどうなのかと問いたい。
 人格障害については、「 人格障害者の接し方/SAFETY JAPAN [医療・食品]/日経BP社」に簡単な説明がされています。
 結局、犯人が韓国人であるか否かは些末なことであり、大きな原因は人格障害にあったのです。それでも、強いていえば、韓国人特有の性分(これはきわめて小さい要因と考えます)、アメリカでの差別やいじめが不幸にも人格障害とリンクして引き起こしてしまった事件とも言えますが、少なくとも、アメリカが銃社会であるという理由ではないのです。
 しかし、暴言承知で書きますが、嫌韓板で韓国人について「これだから韓国人は…」と書きなぐっているらしいのですが、だったら津山三十人殺しはどうだ、あれはまごうことなき日本人の犯罪だぞ、と思うわけです。
 しかし、本当にやりきれない。辛い。

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最近、辛い事件が多い 1

 皆さんこんばんは。台湾旅行の画像のアップ、やっと出来ました。まだ第一日目の第一弾ですが。ので、natsuka.netの画像BBSへどうぞ(丸投げ)。
 さて、最近バージニア工科大学で銃乱射とか、長崎市長射殺とか、嫌な事件が多いです。単純な私は、人数だけで言うなら、「 津山三十人殺し」を思い出します。(もう一つの事件説明:津山30人殺し事件)
 これは「八つ墓村」の題材にもなった事件で、犯人の出で立ちは、小説とそっくりで、「黒詰め襟の学生服に地下足袋をはき、ゲートルを巻き、頭にしたはちまきに懐中電灯を二本差し、自転車用のナショナルランプを首から提げ(ちょうど腹の位置に来るらしい)、日本刀一振りと匕首二口を左腰につけ、手には改造したブローニング猟銃を持ち、ポケットには実弾100発、雑嚢にも弾薬、実弾100発をいれていたそうで、それを見た人は「まるで鬼のようだった」と語ったと言います。
 事件の背景には、夜ばいの風習や戦中であること、徴兵検査に合格できず、女性に馬鹿にされたことがありますが、直接の原因は自分が夜ばいをしていた女性二人が他家に嫁いでしまったことと言えるでしょう。私は、30人も殺す狂気には同情しない物の、その理由には、少ないながらも、同情するのです。
 バージニア工科大学銃乱射事件の犯人も、被害者にとっては鬼か悪魔に見えたのではないでしょうか。
 彼の事件の後、嫌韓厨と言われる人々が口汚く韓国人を罵っていると聞きますが、彼らは韓国人故起きた事件だと思っているのでしょうか。今まで韓国ウォッチサイトを見て来た私は、確かに、韓国人の特徴が彼に見事に投影されているとはいえ、それだけではないとは思います。
 かといって、マスコミが喧伝している「アメリカ銃社会」だけが問題ではないと思います。確かに、私も「人を殺したいと思うほど憎んだ時に、手元あるいはきわめて手に入りやすい状況に人を殺すための道具があるのはかなりの問題」と思うのですが、もしアメリカが銃社会じゃなければ今回の事件は起きなかったのかと言うと、そうではなく、手にする武器が変わっただけで、被害者の人数は減っても、確実に事件は起きていたように思います。
 まず、ああいう凶悪事件を起こす人間というのは、きわめて自己中心的な性格で、自分がこうなったのは自分のせいではなく社会のせいという責任転嫁、何より想像力が致命的にかけているという特徴があるそうです。つまり、自分が起こした事件のせいで、絶命する人間の無念とか、それによってどれだけの遺族が悲しむとか、自分がどういった罪に問われ、どういった刑に服するとか、そういうことが全く想像できない。
 

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男女共同参画が生み出した化け物 4

 私が住まう市では、男女共同参画宣言都市と謳い、今は知りませんが、数年前、男女共同参画審議会委員(市の職員と一般市民からなる)でスウェーデンに研修旅行に行っております(前のコメントでは「デンマーク」としていますが、私の覚え違いです。申し訳ありません)、福祉先進国という事で、少子化対策を学びに。しかも一部を市から援助という形で。
 しかし、彼らは、スウェーデンが既に失敗しているという事実を知っているのでしょうか。それについては前述の「誰が教育を滅ぼしたか」の「フェミニズムに悪用される少子化対策」にありますが、スウェーデンでは福祉を勧めた結果、「子育て期の若者が親依存ではなく『社会保障依存』体質になってしまった」そうです。そうして、1990年には2.13人までに上昇した出生率も1997年には1.52人までに下がり、その後も下降しています。つまり、出生率の上昇は、「手厚い社会保障という国家へのパラサイト」あっての一時的なものだったのです。
 これは、知っていれば確信犯、知らなくても調査不足ですよ。いわば致命的ミス。そのような馬鹿げた行為に私たちの血税を使うなど言語道断です。
 そして、彼らのそのような活動の結果、どうなったか。見せパン、見せブラという物をはずかしげもなくつけ、電車ではスカートをはいておきながら大股を開いて座る、これは男女関係ありませんが、地べたに平気で座る、どこの誰かも分からない初めて会って間もない相手とホテルに行く、更に、私の住まう市では、中学校の体育館で全校集会のとき、男女ともにあぐらをかいて座ると聞きます。そして、挙げ句の果てには、トイレで化粧直しをするのはまだ許すとして、その化粧道具を床に置く女子生徒…。
 これを見て、彼らは本当に「理想が実現された」と思えるのでしょうか。これのどこが美しい姿なのでしょうか。男女の性差を否定した結果生み出したのは、「男でも女でもない、人間でもない得体の知れない化け物」だったというのに。もっと言えば、「フェミニズム」は未だ「世界革命」を諦めていない共産主義者・社会主義者の形を変えたシンパ集めとなぜ気づかないのですか。
 人前では恥ずかしい姿を見せるな、いつも美しい姿であれと教えられた美しき日本人はどこに行ってしまったのでしょうか。このままでは、二千年の伝統と文化を誇る日本が崩壊する、と私は心の底から危機を感じます。
 


               〜終わりに〜
 私のつたない文章で説明できたかは不安ですし、知識不足もあると思いますが、私の知りうる限りの知識と文章力を駆使しました。皆様には、長い文章をお読みいただきましたこと、心より感謝申し上げます。

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男女共同参画が生み出した化け物 3

 そうして、彼らの暴挙はこれに留まらず、行き過ぎた性教育。このブログは姉が読む可能性もありますし、私自身、恥ずかしすぎて言葉にもできないので、こちらを参考に。 過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト 性教育 これでいいのか?−小学校で性交人形を使った性教育−
 そして、行き着く所はやはり彼らの底流となる「伝統破壊」。日本の伝統は女性差別だらけだと言って恥じないその態度には、こう言う他ないです。「伝統と男女平等どちらかを選べと言われたら、伝統を選びます。」と。たかだか十年やそこらの一思想に二千年以上の歴史を持つ日本が浸食されてどうする。もっとも、「フェミニズム」自体は百年の歴史があるらしいですが、それでも日本からしてみれば、赤ちゃんのような物です。
 彼らの暴挙は、数え上げれば切りがありません。更には家族破壊思想の押しつけ。私は言いたい。家族と言う、一番大切にしなければならない人を大切に出来ない人間が、どうして他人を大切にできるのかと。しかし、それさえ、彼らは「男に都合のいい制度だ」と言って否定するのでしょうけど。
 そんなに男女の役割を否定したいなら、それを実行に移した例を紹介しましょうか。
 これは、八木秀次氏の 誰が教育を滅ぼしたか—学校、家族を蝕む怪しき思想の「『男女共同参画法』というカルト」に詳しいのですが、元々「フェミニズム」とは十九世紀フランスの社会主義者フランソワ・マリー・シャルル・フーリエが作り出した言葉です。その彼女が提唱したのが「ファランステール」という共同経営農場。その簡単な説明が男女共同参画社会とはにありますが、これを政策として実行に移したのがレーニンでした。時はロシア革命直後。
 その結果は惨憺たる物。堕胎と離婚の激増の結果、出生率が激減し、家族・親子関係が弱まった結果、少年非行が急増しました。又、何百万もの少女たちの生活がドン・ファンに破壊され、何百万もの子供たちが両親のそろった家庭を知らないことになりました。
 私は、共同参画推進派の彼らに教えたい。これが、あなた方が目指した結果です、と。約百年も前に実行しましたけど、大失敗していますが、それをまた繰り返すのですか、と。私たちは、あなたの「思想実験」のモルモットではないのですよ、と。それでも、彼らはその責任をとらず、どこかに転嫁して、次の標的を見つけるのでしょうけど。
 ここまで書くと(いえ書かなくても)もうお分かりでしょうが、「男女共同参画」は輪郭を変えた「社会主義思想」なのです。表現のきれいさにだまされてはいけません。社会主義思想の信奉者であるかつての学生運動家(またはそのシンパ)が、夢を捨てきれずに、いろんな、しかも百年前に提唱された手法を、失敗の事実を隠蔽して、今度は大丈夫とばかりに使おうとしている。

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男女共同参画が生み出した化け物 2

 もちろん、これで社会主義幻想を捨てる彼らではありません。「一度生まれた思想は無くなる事はない」とは「戦争論2」での小林よしのり氏の言葉ですが、その通りでした。
 ソ連の崩壊により、自分たちが信じた理想が間違っていたと感づき、それでも認めたくない彼らの次の標的は歴史問題。最初はただの創作だった「従軍慰安婦」を国際問題にまで仕立て上げ、次は「東京裁判」というトンデモ裁判から派生した「靖国問題」。それだけでは飽き足らず、「南京大虐殺」に関しては、数学的および物理的に無理な虐殺人数をはずかしげもなく喧伝。その人数が中国が発表した人数よりも多いというのですから、いったいどうしちゃったのか、もしかして「大は小を兼ねる」の使い方を間違っているのでは、と他人事ながら国語力を心配してしまいます。
 そして、そんな彼らは言います。「日本は真の謝罪から世界の信頼を得る」と。しかし、念のために説明しますが、彼らの言う「外国」とは、「中国・北朝鮮・韓国」の三国のみです。しかも、彼らの言う通り、信頼を得られるはずもなく、日本が過去に謝罪した結果が三国の行き過ぎる反日思想政策なのですから、いったい何がしたいんだ、と。第一、やってもいない、またはやったとは言い切れない、しかも国の尊厳に関わるような問題をまともな検証もせずに謝罪したら、得られるのは信頼よりも軽蔑だと思いますが。結局、ここでも日本のためではなく、もちろん三国のためでもなく、(輪郭を変えた)自分たちの理想の実現のためだけに歴史問題や三国を利用していた事がバレます。つまり、彼らの言う「歴史問題」が事実無根である事がほぼ確定したのです。それでも、まだ捨て切れていないようですが。
 そして、彼らの(今現在の)最終標的は「ジェンダーフリー」。その当時の私がうかつだったという他ないのですが、恥ずかしながら、私も「男女共同参画で本当に男女平等の社会が来る」と思い込んでいた時期があったのです。「男らしく」「女らしく」というのは差別だ、古い考えだ、と。よく考えてみれば、体の構造の違いからして、性差を無くすなんて無茶だという事くらい、すぐ分かったのに。
 彼らのダブスタ振りは、そこでも発揮されます。男女共同参画のはずが、男性と共生しようという意志が全くない。出産育児も多様な生き方の一つなのに、それを「自分の人生ではなく、夢を犠牲にしている、男の犠牲になっている」と言う。ならば、「子供を五人くらい産んで育てて、忙しい毎日を送りたい」という私の夢はどうしてくれるのかと言いたい。年齢的に五人は無理そうですが。まだ三人は行けそうです。
 話がずれました。とにかく彼らの敵は男。社会主義を語る時に欠かせない「ブルジョワ」と「プロレタリアート」を「男性」と「女性」に置き換えると、彼らの正体が見えて来ると思いますが、男女共同参画とか言いながら、その実男性をことごとく卑下し、敵対すべき物として見ているのです。
 そんな彼らがやった事と言えば、まずは不要な言葉狩り。「看護婦→看護士」ならまだしも、「助産婦→助産士」って何ですか。さすがに高機能な私のパソコンでも変換出来ませんでしたよ。
 そして言葉遊び。配偶者の呼び方でも「主人」や「旦那」は女性が召使いみたいだからいかん、「嫁」や「家内」は女は家にいるべきと取れるからいかん…って、殆ど言いがかりなんですが。百歩譲ってジェンフリ思想として、単なる一思想を全国民に押し付けないでほしいと激しく願います。そんな彼らが編み出したのが「呼び名の改変」。これは一例ですが、私、正直聞いた瞬間笑っちゃいましたよ。
「以前までは家では『あなた』『お前』で通していたけど、アメリカ(なぜか彼らの間ではアメリカがジェンフリ先進国だという思い込みがあるらしい)では『ダーリン』『ハニー』と呼んでいるから、うちでもそう呼ぶ。」
だそうですよ。え〜、つっこんでいいですか。アメリカでは、夫婦がお互いの事を呼ぶ時、「ダーリン」「ハニー」なんて呼ばずに、名前かあるいはニックネームで呼びます。どこまで思い込みが激しいのでしょうか。しかも、こてこての日本人顔の、それも(当時)50才にさしかかろうと言ういい大人が何が「ダーリン」ですか。耳の心地好さだけで変えまくると、節操無しと言われても文句は言えんぞ、と軽く吠えておきます。

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男女共同参画が生み出した化け物 1

20070125235041
20070125235258
 皆さんこんばんわ。体調不良だ、失職だと甘えているうちにとうとう竹島の日がやって参りました。詳しくは、こちらを→フィオリーナの以心伝心 竹島プロジェクト2007  みんなで竹島の日を盛り上げよう!キャンペーン 始動
 今まで画像を貼るという単純な作業が出来なかったのは、ただ単に「その方法を知らなかったから」です。で、説明をちょこっと読むと、こんなに簡単にできるじゃないか!!意欲があるんだか無いんだか良く分からない、何ともお間抜けな参加になってしまいましたが、来年はもっと早く参加いたしますので、ご容赦を(誰に向かって言っている)。
 子供が竹島を模した帽子をかぶっているかわいいイラストは、私がよく訪れているnatsuka.net様というサイトから。もう一つの水彩画タッチのきれいなイラストは、訪れた事はあまり無いのですが、JOKER×JOKER様というサイト。
 ぼーっとした記事を書く割りには、結構愛国心満々の台風をこれからもよろしく。

 さて、ここからがらっと変わりますが、やっと「共同参画の(私から見た)問題点」です。
 私が初めて男女共同参画に疑問を持ったのは、 あけましておめでとうございますの下の方にも書いてある通り「年上女と結婚する男はマザコン」というジェンフリ女性の考えを見せつけられた時です。もちろん、ジェンフリに関わる女性みんながそう思ってるとは思いませんが、結局男を見下して悦に入りたいだけなんだ、とある意味本質を見てしまったのです。それから十年余。私の勘は間違っていなかったと良く分かりました。
 男女の性差をことごとく否定し、結婚して家庭を持ち、育児に専念する女性を「男性の被害者」とか「家に閉じこもって自分の人生が無い」と言う。まるで、結婚育児が女性としては最低の、奴隷のような生き方と言っているにも等しいと思うのですが、いかがか。「女性の多様な生き方を認めろ」と言うわりには「結婚育児」という生き方は認めない、ダブルスタンダードを恥じないその態度には、嫌悪を覚えます。しかし、ジェンフリの正体が進歩的文化人の仕掛けだと考えると、疑問は氷解しますけどね。
 その昔、社会主義が進歩的な思想とされた時がありました。社会主義思想を押し進めると、格差のない完全平等な世界が来ると。いわゆるユートピア幻想ですが。その幻想が生み出した物がなんだったのか、それは伝統の破壊、そして家族の否定、それによる学生運動が高じた末の極左過激派の日本に留まらないテロ活動(こちら参考重大事件等を展開した日本赤軍その他の国際テロリスト(警察庁))。結果美しき日本の破壊でした。彼らは「日本のため」と言っていたかもしれませんが、私にしてみれば「日本の恥」です。もっとも、共産主義者は旧ソ連からの「32年テーゼ」の遂行が絶対使命であり、日本のためになど闘っちゃいなかったのですが。
 所詮は理想と情熱だけの集団、それが正しい方向に向かっているうちはまだいいのですが、結局彼らが起こしたのは浅間山荘事件、よど号ハイジャック事件、レバノン乱射事件。そんな彼らが未だに「世界革命を起こして国境をなくし、世界平和を!!」と叫んでいる様には失笑する他ありません。そう言えば、重信房子が逮捕されたとき、手錠をかけられた両手を上げて誇らしげにしていましたが、まるで浦島太郎を見ているようでした。
 それでも、浅間山荘事件発生当時は、周りの大人は連合赤軍に寛容でした。「理想の高い純粋な若者がやりすぎちゃっただけ」と。私からしてみれば、説得に出向いた母親にさえ弾丸を放ち、警察官を銃殺しておいて何が理想だ、という感じですが。そして、事件が解決して、山荘付近を捜索すると、そこには彼らの仲間だったはずの死体の山。それで、周囲は赤軍の正体を知り、学生運動が衰退して行ったと聞きます。

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説得

 皆さんこんばんは。今日は、梅雨前線が東日本から西日本まで張り出して、雨が多かったことと思います。雨が多いとブルーになる方もおられるかもしれませんが、私の住む地域では元々降水量が少なく、毎夏には水不足に悩まされているため、ブルーな気持ちばかりではありません。特に、雨音は好きです。激しければ激しいほど。もっとも、この辺りでも、そう思うのは、私だけかもしれませんが。
 さて、皆さんは、人を説得する時、何を最も心がけますか。私は、いかに自分の言っていることが正しいか、それを分かりやすく、しかも非の打ち所のないように言おうという気持ちが大きかったように思います。ある時までは。
 しかし、その考えでの説得は、正しくなかったのです。
 その考えで人を説得しようとすると、どうしても、自分の価値観や考えを押し付けてしまうことになる。それが、世間的に普通のことならば、まだ許せるでしょう。しかし、その価値観などが、自分独自のものなら…。
 それに、相手にだって、価値観や考え方はあるし、そうなるまでには、そうなるまでの環境があったと思うのです。それを認めず、ただ自分の価値観を押し付けて、あなたは間違っている、「私の方が正しい、だから、わたしの考えをあなたも受け入れなさい」というのは、ただのだだっ子に過ぎない。
 私には、人に何か言われると、口答えしてしまうと言う悪癖があるようです。だから、説得する時にもそれが働いてしまうのかも知れない。そもそも、人を説得しようと、しかも、その場で考えを変えさせようと考えるのは、おこがましいと言うか、傲慢なのではないか、とあるとき気づいたのです。そして、そう言う自分は、説得=人の心を征服することと、勘違いしていないだろうか、と考えるようになりました。
 そして、ある時、自分なりに答えが出ました。このように。
 その場でその人が納得しなくてもいいじゃないか、その後、何日か後でも、何年、何十年後でもいい、その人と、まだ付き合いがあるにしろ、ないにしろ、その人が、私の言葉を思い出して、「ああ、あの人があのとき言った意味は、こういうことだったんだなぁ。」と思い出せればそれでいい。たとえ、思い出さない、または、納得できないなら、それはそれでいいではないか。
 こう考えると、楽になりました。説得に限らず、会話とは、そう言うもののような気がします。私にとって、「人に価値観等を押し付けないこと」の秘訣とは、もっと大きく言うならば、長くその人との付き合いを続けることの秘訣とは、そう言うことかもしれません。
 ここから独り言。
 私はね、単純なくせにいろんなことを複雑に考える傾向がある。単純ならば、単純なように、それを受け入れて生きて行ければ楽なんだろうけどね、それをまだ素直に受け入れられてないような気がする。難しいね。

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正しいんだけどね。

 皆さんこんにちは。 今朝、頼んでいたお見合い先の親から、「息子より学歴が高いのは…」という理由で断られました。釣書や写真をかわしただけで、なかなか返事をよこさないから、怪しく思っていたので、どうこう言うつもりもないですけどね。で、今日、親が新しいお見合いの釣書と写真を持って帰ってくれたのですが…。すみません、頼んでおいて何なのですが、気が進みません。顔はまあ、私も人のことが言えないのでいいのですが…。年が一つ下なのですよ…。私のようなわがままは、年上の方がうまく行くんじゃないかと思うのです。あと、出身校が、どうも、受け付けない…。自分の人間の小ささに嫌悪を覚えますけどね、心の問題なので、しかたないです。
 さて、今回は、知人の話。知人と言っても、20年以上の知り合いですが、今は、年賀状くらいの付き合いしかありません。
 最初に書きますと、彼女は、非常に努力家です。考え方もしっかりしている。そして、どこか守ってあげたくなるような感じで、甘え上手です。いわば、女性としての魅力がある人です。
 しかし、なぜか居心地が悪い。私がそう思うのだから、彼女も感じていたんでしょう。連絡が途絶えたのは、育児に関する考え方が対立したこと、そこで私の考え方を押し付けたことが決定的な理由ですが、元々の考え方が、おそらく、全く違っていたのでしょう。彼女の言うことはいつも正しい、それは分かっている、だけど、それは違うんじゃない?と思うのです。理屈では言い表せない違和感と言いましょうか。
 彼女は、タクシーに乗った時、お礼は言わないと言います。それは、お金を払ってるんだから、言う必要はない、と言います。
 あるとき、彼女と車で移動していました。彼女は車を持っていないので、私の車で移動していたのですが、そこで、彼女が「車なんて、どっちか一方の持ってる方が出せばいいのよ。」と言ったのです。いや、正しいよ、あなたの言うことは正しいよ、と思いますし、正直とも思います。
 しかし、セコいことは言いたくないのですが、ガソリン代だって、ただじゃないのです。そして、肉体的疲労もあるし、精神的緊張もある。そこに思いをいたさずに、今、正に運転中の私に向かってそんなことを言えるのって…と思いました。
 彼女は、家に送った時に、必ず「ありがとう。」と言ってくれていました。あの言葉を聞くまでは、私も素直に感謝の言葉を受け取れたのですが、それからは、無理でした。
 人には、人の数だけ考え方がある、当然です。自分の価値観だけが正しいとは思いません。彼女の価値観も、私以外の人には受け入れられるのかも知れない。それが、世間では正しいことかも知れない。解ってる、あなたの言うことは、正しいんだけどね…。
 そんな、何となく釈然としない気持ち、ありませんか?

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